電池を入れる玩具が好きだった
発光したり音が出たりするから
一番のお気に入りは
ページを開くと場面に合った音が流れる
『絵本』だった
ある時
土砂降りの雨音が
キラキラと輝く音に変わる
最後のページでその音が出なくなった
おかしいぞと最初のページに戻るも
なにも鳴らない絵本
(電池が切れた!)
母親に
新しい電池にかえてと
お願いしたのだけれど
返ってきた衝撃の一言
「絵本なんだから電池なんか入ってないよ」
嘘だ!
絵本をひっくり返して見たものの
電池が入る余地など本当になかった...
急になにかが冷めた
翌日、絵本をすてた
そのころ
祖母の家は
親戚一同が集う集会所みたいだった
映画のETが流行っていて
叔父・叔母たちが
従兄弟や親類の子供達を連れて
映画館にETを観に行った
ぼくは小さいからダメだと言われた
とても怖い映画だと
怖い映画と言いながら
みんな楽しそうなのが腑に落ちないまま
見送った
祖母の家
仏壇の部屋で留守番
それも親戚の誰かが持っていた
ETのビニール人形と一緒に留守番である
今ごろ映画
はじまってるんだろうな
仏壇の前で横になりETをいじりながら
映画の内容を想像しシーンを脳内で描いた
そこへ祖母がやってきて
「ほら」
壁からぶら下がる鎖を引くと
瀧廉太郎の『荒城の月』が流れた
鳩時計のような木製のなにかから
鎖が垂れ下がっていた記憶がある
オルゴールみたいなものだったのだろうか

祖母が、ふて腐れたぼくを
元気づけようとしてくれたのだろう
今考えると
ETのビニール人形と荒城の月
なんともチグハグな組み合わせなのだが
荒城の月のチープな旋律が脳に伝達されると
ぼくの中のETは途端に輝きはじめた
それから数年後
ETを鑑賞することができた
それはそれは楽しく感動させてもらった
しかし
ぼくの中のET原作が干渉してくるのか
今ETを観ても
ジョン・ウィリアムズによる
感動のテーマ曲の中で
ひっそりと
荒城の月が脳内再生されるのだ
それは
いまだに祖母がぼくを元気づけようと
鎖を引いてくれているからだ
昔の光いまいずこ
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