どうもライチポケットレディオの
忘れ物と物忘れは大差ないが
もらい物とものもらいは雲泥の差がある
カニ将軍♋︎アキラDeath!!
子供のころ
祖母が
自分の口に入れた食べ物を
ふたたび口から出し
僕の口に入れるという
まるで親鳥が雛に餌を与えるような
愛情を注いでくれた
その時の僕はというと
ちゃんと歯は生えそろっていたから
わざわざ噛んでくれなくてもよかった
食べやすさや
消化効率なんてものは度外視で
僕への溺愛だったのだろう
反して僕は
単純に『赤ちゃん扱い』が嫌だった
それは羞恥心のみならず
味覚にも影響する
純粋に食べる『それ』より
一度、人の口を経由したものは
味変しているような気がしてならないのだ
あくまでもイメージなのだが
うぐいす餅の外側の粉とか
タンスの奥底のフレーバーが
舌の上を這いずり回って仕方がない
その【中間マージン】は
盛大にカットしていただきたい
むしろ
産地直送で口内へつなぐ
レッドカーペットはなかったのだろうか
その日の体調によって味が変わる
これぞ日本の味覚
やめな!
さらに祖母は
仏壇に食べ物を供えて
下げてから食べるのが良いと
教えてくれた
供養とか弔いなんてものを
知る由もない幼児アキラは
それにも
拒否反応を起こしてしまう
仏壇に供えた食べ物は
線香の煙で燻された
スモーキーな味と感じ取ったのだ
[浄土真宗最終奥義寝そべりーに毎日香]
そこへ拍車をかけるように
紫の座布団のカビっぽさに
木魚の不気味なデザインが
舌上で化学反応を起こす始末
ちなみに木魚は
眠気覚ましの意味もあり
木魚が魚を模しているのは
眠る時も目を閉じない魚が
かつて眠らないものだと
信じられていたことに由来する
そんなムダ知識はいいんだよ
究極は
仏壇から下げられたブドウ
巨峰スモーキー編が
祖母の口内でさらなる進化をとげ
僕の口に入った時の
『おんぶに抱っこ感』
幼い舌の感受性は
その破壊力を支えきれぬまま
それこそ『舌の根の乾かぬうち』に
盆と正月が同時にやって来るのであった
その辺の後遺症が根深いせいか
いまだに切手とかを舐めたりはできない
ナイーブ内部である
あれから40年が経過し
今や仏壇にインストールされた祖母
優しかった祖母に供えた物を
僕が食べる時は
あの時の【味】がするのだろうか
それはするだろうね
涙の塩味が加算されて
絶妙なバランスだろう
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